夫婦2人とわんこ1匹。好きなものに囲まれて暮らす。

好きなものに囲まれて暮らす。

夫婦とトイプードルなぎとの2人+1匹暮らし。いろんなことに「オタク」な「なぎパパ」、「ショッピング好き」の「なぎママ」が好きなことを綴っています。凪との暮らしも公開!?

夫の取扱説明書、妻の取扱説明書。

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夫婦喧嘩

ットニュースで松居一代さんの離婚会見を観た。船越英一郎さんへかける言葉をリポーター陣から問われた松居一代さんは「大嫌いです!」と一言。私には「大好きだった(もしくは今も)」としか聞こえない。「可愛さ余って憎さ百倍」というところだろうか。最近「夫婦関係」について考えることが増えたけど、このタイミングで松居一代さんの会見・・。という訳で今日は「夫婦」について少し考えてみようと思います。

優しさ

と言ってもわが家の話になっちゃいます(笑)。「あなたの旦那さんはどんな人ですか?」と聞かれたら私は即答で「優しい人です」と答えます。独身の頃に「好きな男性のタイプは?」と聞かれたら「優しい人」とは答えなかった。なぜなら好きな人には「優しい」が当たり前だと思っていたから。結婚後、この「優しさ」に何度救われたことか、と思っていました。最近までは。

会話

「優しい=良い旦那さん」の図式が結婚後すぐに出来上がってしまった私。付き合った当初こそ旦那から私に対する質問などいろいろあったので自然な会話が出来ていたものの今や食事中も「テレビ観ながら会話無し」状態。会話したとしてもテレビに関する会話・・いや感想か。外食しても私が話ださない限り黙々とご飯を食べ続ける旦那をみて夫婦ってこんなに会話がないものなかと思うようになる。

奥さんと子供から孤立する夫・パパ

以前の職場の上司が「休みの日に朝目が覚めたら奥さんと子供が出かけていて居ない。」と耳にすることがあった。当時は独身だったので上司に同情すらしていたが結婚後、奥さんと子供の気持ちがすごくわかるようになった。

昨日まで仲良く話していた妻、子供が急に「話さなくなった」状態にはならないはず。おそらく奥さんや子供はそれまでに夫、パパにたくさんのこと話しかけていたと思う。でも返事が生半可だったり、聞いていないことが伝わると「伝える」ことが空しくなり「どうせ話しかけても上の空」という図式がその家庭に出来上がり数年(早ければ数ヶ月)で「休みの日に朝目が覚めたら奥さんと子供が出かけていて居ない。」状態になるのではないだろうか。

「休みの日に朝目が覚めたら奥さんと子供が出かけていて居ない。」もっともらしい悲劇のように聞こえるが、そもそも問題は「居ない」ことよりももっと根深い。

優しさ=無関心

わが家の話に戻します。「休みの日にスーパーに連れてって。」「〇〇に行きたい。」と言えば必ず「いいよ。」と言ってくれる旦那。「え~、今日はちょっと気分じゃない。」「行きたくない」「一人で行けば?」と言われたことがない。それは旦那の優しさであるし私も十分に幸せである。だから旦那がふと「この映画みたい」とつぶやけば私的に興味がないとしても付き合うようにしている。自分発信で何かを語ることがない旦那だけに旦那が「〇〇したい」と言ってくれることが嬉しかったりもする。

そうして夫婦会話をしていく中で知らない部分が減っていくし、もちろん喧嘩の火種になるようなものも見つけていく(笑)。すべては二人のコミュニケーション、会話から成り立つ。

だが冒頭でも触れたとおり、旦那はあまり話さない。テレビと旦那、私の三者によるコミュニケーションだったら成立しているがテレビがなくなると会話の少ない夫婦になり下がる。そんな状態の日常が続く中で「旦那は私に無関心ではないのだろうか」疑問をもつようになる。いや、本人はもうとうそんな考えはないと思う。どうやら私の考える夫婦の在り方は旦那(男性)のそれとズレているらしい。

会話

何十年経ってもラブラブは夫婦は絶対に会話をたくさんしていると思う。思うというか断言できる。会話することで相手をどんどん理解していく、良い部分悪い部分含めて。だからうまく付き合えるようになる。私たち夫婦はたまに喧嘩をする。

「言い方なんとかならない?だいぶ我慢しているんだよ、こっちも!」と怒る旦那。滅多にしない怖い顔つきと目つき。「こんな顔するんや。本当の旦那の姿なのか。」旦那の怒りを改めて認識すると怒っていた私の方が覚めていく。

「我慢」か・・・。

普段から会話もないし、あなたの沸点がわからない私はわざと嫌な(そうとう嫌な、絶対に怒らせる)言い方をする。そこで旦那の沸点を確認する。

こんなコミュニケーションの取り方は悲しくて涙がでると「冷静に話そう」という旦那。喧嘩をしないと夫婦会話が出来ないのか。余計に悲しくなり涙がでるが、その「涙の意味」を旦那は知らないし忖度できない(忖度の使い方あってるかな?)。

互いに言いたいことをきちんと聞かず、人の話の途中で被せて話したところで「冷静な話し合い」も何もない。互いに自身の反省する点を理解してないのなら、それは互いに言いたいことを相手にぶつけ合うだけのもの。だから私は喧嘩したときに「冷静に話す」コミュニケーションはとりたくないし、それも夫婦の会話なのだと思いたくもない。

私が夫婦に求めている会話、コミュニケーションは喧嘩から生まれるものじゃない。そこのところ分かってほしい。会話にも多少の努力は必要なのだと。

これは私の一個人の考え方で「それだけ優しい旦那さんなら十分じゃないか」と怒られるかもしれない、まだまだ未熟だと。なので「夫の取扱説明書、妻の取扱説明書」があれば良いのにと本気で思う今日この頃です。